11/6-11/17 VIKI×坂間真実『Xenos#3』石川 町
ドローイング作品およそ100点を展示販売いたします。
VIKI×坂間真実『Xenos(クセノス)#3』
会期:2024年11月6日(水) - 11月17日(日) 12:00~19:00(日曜17:00まで)月・火休廊
会場:gallery fu
神奈川県横浜市中区石川町1-31-9 https://galleryfu.com/access/ 入場無料
アーティストトーク
2024年11月9日(土)
17:00-18:00
会場:gallery fu
入場無料
VIKIステイトメント
「君って甘いもの好きだったよね?」と、手土産を片手によく言われることがある。
実際には甘いものが特に好きだと言ったことも思ったこともなかったが、今では「僕、
甘いもの好きなんですよ」と、たまに言うことがある。どうやら己が何者であるかは環
境の産物らしい。
先日、久しぶりに故郷に戻った時のことである。昔よく歩いた道を散策したのだが、
所々空き地になっていた。毎日歩いたどこか安心する景色が見えるはずだった。しかし、
その空き地の景色にどのような建物があったのか、思い出せないのである。親に尋ね
ると、「歯医者じゃなかったか?」と言う。僕はそんな記憶を持っていなかったのだが、
ふとした瞬間に「ああ、歯医者だったかも」と記憶を上書きしようとするのだ。“ どの
ような建物があったのか思い出せない自分” ではなく“ あの場所には歯医者があった
のだと知っている自分” になろうとしているのだ。このような錯覚の集合体が自分自身、
つまりアイデンティティなのではないか。錯覚に陥った記憶は、いつしか己が信じる記
憶として痕跡を残す。そして、そうありたいのだという願望に変わる。その願望が信
念となり、自分は何者かである、と勘違いさせているのかもしれない。おそらく僕は、
環境に適応してしまった己から目を背けたいのである。
アイデンティティとは環境に順応した結果生まれる錯覚である。肯定したい過去を
通して未来に願望を抱き、その痕跡が信念へと変わる。たとえその信念が錯覚から生
まれたものであっても、自分が生み出したアイデンティティなのだと信じたいのだ。
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